屋久島の大王杉。
樹齢7000年ともいわれている。
この永い年月の間には生死を分けるようような風雪が幾度もあったに違いない。
なぜ生き延びることが出来たのか????
近頃まで謎であった。
その謎が少しづつ解明されてきた。
根に共生している内生菌が深く関与しているということがわかってきた。
屋久島杉の根には何100種類の内生菌が生息していることがわかってきた。
この内生菌のネットワーク。
植物にもライフラインがあった。
このライフラインが構築されているエリアこそ自生地である。
新しく噴火した火山のエリアには微生物ライフラインが構築されていない。
鉢にもない。
こういうエリアを不毛の地と呼ぶ!
ラン、植物からみれば鉢の用土は・・・殆ど不毛の地である。
特にラン科植物からみれば、ラン菌の生息していない用土は・・・不毛であろう。
こういう用土を使って・・・あれや、これや・・・と行ってきたのが今日までの栽培法である。
根本を削除した砂上の楼閣のような技術。
ラン栽培者で「用土」に興味を持たない者はいない!
ということは、水ゴケに満足している者はいないということ!
なぜ満足できない????
大きな欠陥があるからである!
そして次々に生まれた「用土」を・・・試しに使ってきた!
どれも感服した生育にならない。
なぜなのか????
ラン科植物は「菌根植物」であることを認識した用土でないからである。
本に「ランは菌根植物」であることを書いてあるものはない。
だから・・・多くの本を読んでも、講習会で習ってもランは作れない。
これまでの用土には・・・・
ラン菌が生きていないからである。
鉢に自生地の生態系、ラン菌によるライフラインが構築できないからである!
肥料で作る。
色々試作したあげく・・・・また・・・元の水ゴケに戻る!
こういうことではこれから先もラン界の隆盛はない。
原種を使い捨て、喰いつぶしで・・・・目先の利益を確保するペットショップになる。
枯れるから・・・商売できる????
工業製品と同じ目線のラン商売・・・・。
そういうことで日本の山々からランは姿を消した。
水ゴケで肥料で作る栽培は・・・野菜の植物工場と同じ。
そこには自然界における微生物のネットワークはない。
単純に考えれば、全て完全に環境はコントロールした工場だから、
植物には生きるか、死ぬかという自然の過酷はないように見える。
これは原発も同じであった。
しかし事故は起きた!
植物工場には・・・自然界のライフラインはない。
人間でいえば「点滴」でライフラインを構築しているようなものである。
全ての電源が止まったとき、植物工場栽培は全滅する。
停電が絶対無い!
この上に成立つ栽培法である。
しかし、原発事故で体験したように、人間が作った物、科学が作ったものには想定外のことが起こり得る!
人間による・・・津波、火山などによる自然破壊というのは、内生菌ネットワークの破壊である!
だから、一度破壊されると、人為的にこのネットワークを構築するのは不可能に近いから、
自然を再生するのは至難の業となる。
ましてや、菌根植物であるランの自生地を再生するのは絶望的に難しい。

ランの原種を山から掘ってくるのは誰でも出来る!
しかし、破壊された自生地を元のように再生するのは・・・・。

原種、野生ランを愛好するのも良い。
しかし、自生地再生は・・・・あなたに出来るか???・・・と問われたとき、
絶句するよりないのである。


ラン菌が生きているSUGOI-neで、はじめて自生地再生の道が拓かれた!
腐生ランは逆転の発想で生きる。

  植物が弱いのは葉があるからである!
  葉は乾燥、高温、低温、風雨に弱い、窒息に、有毒ガスに紫外線に、病気に虫に動物に、弱い・・・・
  植物で最も大切な組織器官である葉が、最も脆弱なものである。
  植物の泣き所である!
  特に芽生えたばかりの葉は、特に弱い。
  植物の進化の歴史は、この葉を健全に保存維持するかの歴史であった。
  この葉を強く、頑強にに造る進化が一般の植物で行われたが・・・・
  それでも今尚、葉は弱点である。
  植物は葉を失えば死につながる!

  ならば「葉」を持たなければ良いのではないか???
  弱点がなくなるのである!

  エネルギー源を・・・自分で必ず作らなければならないということは・・・ないではないか???
  地球の枯れ葉の中には糖、糖質があるではないか!
  
地上には前記したような過酷な条件に満ちている。
  地下の方が安全である。
  地下はシェルターである。
  だから人間も・・・・シェルターを地下に作る。
  防空壕は地下である。

  食料があれば・・・・・
  腐生ランにすれば・・・・地下は食料にする糖質の宝庫である。
  これで満足するのであれば・・・何も外敵の多い地上で競争して生きる必要はない。
  身分相応という生き方である。

  ラン科植物26000には、この腐生ランの身分相応の生き方のDNAが含まれている!
  このことを理解しないでラン栽培を行うと、大失敗する。
  大きいラン園の経営思想は・・・ランの進化の方向と大きく乖離したから破綻したともいえる。
  人間の覇権思想・・・世界制覇の巨大理念と・・・ランは相容れないものである。
  肥料で多い収穫を望む栽培も・・・破綻する。



  この腐生植物、腐生ランに、農学、植物学、園芸学でも焦点と視点を削除してきた。
  異端の植物として無視してきた。
  微生物の世界があまりに深遠で広大なために、植物と菌とのネットワークにメスを入れることは、
  研究家の立場からすれば・・・一生かかっても到達出来ないもの。
  学究者といっても人の子。
   名声も、カネも地位も絡んでくる。
   研究テーマにも時代の流行というものもあろう。
   家庭ゴミの問題があってEM菌が時代の脚光を浴びる・・・・。
   片方で、菌削除の水耕栽培、植物工場も照明電力・・・消費電力の少ないものが開発され、
   脚光を浴びることもでてくる・・・。


  近代、現代科学で削除されてきた地下の世界。
   共生菌の世界が、一部の学究が・・・・ようやく手をつけ始めた段階である。
   しかし腐生植物、腐生ランの研究は、現在でも行われていないようである。

 実験してみる
 
   ○ 水ゴケ、バーク、軽石、杉皮  オートクレイブで無菌にする。
   ○ 上記の用土を鉢に入れる。
   ○ これにランの種子 ( Cymbidium、デンドロ、)播種。
   ○ 市販されている園芸肥料を与える。
       商品名は記載しない。

  ランと肥料の関係をラン菌削除の状態で・・・・ランの種子が発芽出来るか否かを実験した。
  全ての肥料で発芽を見ることは出来なかった。


  このことは、ランの自生地において、ランが肥料の成分で発芽しているのではないということが解かる。

  ランの無菌培養では培地に肥料成分(植物必須元素)を入れる。
  だから肥料成分で発芽すると考えるが、これはあくまでも無菌のフラスコ内の世界で可能なことで、
  自然状態では、ランは発芽出来ない。
  植物必須元素がある状態でも発芽することはない。
  この状態は、他の微生物も生息、繁殖出来る条件であるから、ランの種子は雑菌に犯され、
  発芽出来ない状況に追い込まれる。
  ラン菌が勝組みのエリアで、はじめて発芽が可能になる。

  この実験は宇井清太が行うまでもなく、1853年ドミニーが親株播種発芽成功を見るまで、
  多くの先達が実験したことで、肥料では1本も発芽させることが出来なかったのである。

  胚乳の持たないラン種子の発芽は、肥料を与えた位ではどうにも成らない進化の深遠がある。
  ラン菌による炭素循環栽培法は、自生地におけるラン発芽の謎を解くものである。
   自生地では誰も肥料など与えない。
   屋久島の7000年の大王杉に肥料など与えたものなどいない。

  ランの自生地をよくよくみれば、そこには必ず枯れ落ち葉、植物死骸がある!
植物の必須元素16。
この中で水素、酸素、炭素については、
水素は水から、酸素は空気から、炭素は空気の炭酸ガスで賄われている。
問題は本当に植物は全ての炭素を空気の炭酸ガスから光合成で賄っているのかということである。
ランには葉を持たない、葉緑素を持たない腐生ランが存在する。
更に、プロトコームという組織が、光合成できない条件・・・暗黒条件下で生存し続ける。
腐生ランもプロトコームも炭素を何所から調達しているかという疑問が出てくる。
光合成を行なうことの出来ないこれらのラン、組織は、
当然のことながら光合成で澱粉を作ることが出来ない。

植物の一般論の光合成で澱粉を作り、これを燃やしてエネルギーにして生きているという説明では、
腐生ランもプロトコームも説明出来ない。


これまでのラン栽培は、普通の植物、つまり独立自養植物の光合成理論を、
ランに転用したに過ぎない。
ランが菌根植物であるという、根本のところが欠如、削除されている。
ランは光合成の理論のみでは説明がつかない植物である。
そういうことであるが、これまでは、ランも独立自養植物という認識にたって、
栽培法が書かれてきた。
これらの栽培法では、腐生ランもプロトコームにも言及していない。
植物の光合成については詳しく説明されているものあるが、
不思議なことであるが腐生ランもプロトコームも削除しているのである。
植物組織に死骸、枯れ葉も光合成の産物である。
これには太陽エネルギーが蓄積されている。
しかし、死骸、枯れ葉のままではエネルギーになれない。
ラン菌(材木腐朽菌)が分解して、はじめてエネルギーになる。
ランが菌根を捨てないのは、このエネルギーを利用するためである。
植物死骸、枯れ葉に含む糖、糖質は光エネルギーの凝縮したもの。

このことをラン菌の生息しない水ゴケ、バーク、軽石・・・という培養土では・・・
説明したくとも説明不可能である。
なぜなら、リグニン、セルロースという枯れ落ち葉、植物死骸の炭素化合物と、
それを分解するラン菌が、それらの培養土にはほとんどないからである。
培養土の分解は・・・劣化・・・・即根腐れということから、
分解しやすい素材は使用しないからである。


そういうことで,これまでラン栽培に用いられてきた培養土は、
微生物から分解され難いものを探した歴史である。
だから、こういうものでは腐生ランを栽培することは不可能である。
プロトコームが生きることは出来ない。

野生ラン界でダンボール播種が成功したのは、
ダンボールはセルロース、リグニンだからである。
つまり、材木腐朽菌が繁殖すれば・・・そこに炭素循環が構築され、糖が生まれ、
それを栄養源として発芽し、プロトコームが生きることが出来る・・・ということである。
ラン菌によるセルロース、リグニンの分解。
この糖こそ・・・・ランの生命保険ともいえるエネルギー源である。
困ったときのラン菌頼み!

自然は優しくはない。
生き物が生きるという事には、必ず「死ぬか、生きるか・・」という限界に直面する場合がある。
植物にとっても同じことが言える。
鉢に植えられたランは・・・自生地で遭遇しないような頻度で死に直面しているに違いない!
株分け!
人間でいえば「手術」である。
これを2,3年に一度で・・・行われる。
肥料漬けの体が・・・耐えられるわけがない!
作落ち。
衰弱。
やがて枯れる・・・。

人間にとっても同じこと。
「マサカ」という「坂」がある。
絶対大丈夫・・・潰れない会社が・・・潰れる時代である。
定年までと・・・思っていたのに・・・リストラという場面もある。
森の、原野の負け組みの「ラン科植物」であれば、尚更のこと、常に死ぬ・・・限界に遭遇する。

猛暑、旱魃・・・低温・・・
限界を越えたとき生き物は・・・植物も死ぬ!
自然界の生物は限界を「想定」している。!
なぜランは菌根を具備してきたか。
生死の限界に常に曝されて生きているからではないのか???
備えあれば憂いなし。
この言葉ほどラン科植物にピッタリな言葉はない。
葉もバルブも根も・・・皆、環境の限界に備えた構造をもつ。
それでも、生命の存続に関る限界点になるほど自然は酷い仕打ちを準備している。
その自然の猛威の中で、人間の仕業も自然の営みに一つとみれば・・・
最も激しく酷い仕打ち、環境の激変は人間による自然破壊である。
焼畑農業、森林伐採、牧場造成、道路建設、ゴルフ場造成・・・・・・
更に・・・プラントハンターによる採集。
ランが・・この場面に遭遇したとき、生き残る術を持たない。
受身の進化は、泣き寝入りして無惨に死を待つのみである。
植物は、こういう人間の行為と事態を進化上で想定していない。
気候上の不順、変動への対応。
植物が対応出来るのは主にこの場合である。
しかし、一部の植物では、人間が営む放牧で、家畜から食べられることを想定した進化植物もある。


ラン菌が生きているSUGOI-neによる・・ラン菌による炭素循環栽培法は、
この植物の生と死を分ける限界時点において、生き延びる栽培法なのである。
ラン栽培を長くやっていると、必ず・・・株が生と死の限界に遭遇する。
ランは難しい!
こういうときは・・・ラン園経営の存続か否かの限界でもある。
趣味のお遊びの数寄栽培なら・・・止めればよいのだが・・・・夜逃げまで考えることになる。
プロは常に限界に脅え・・・有事に備えていなければならない。

ランも元気、栽培者も元気。
ラン作りが面白いときは・・・・・不思議にランが良く育つものである。
ところが、一度下り坂になると・・・これを立て直すのは容易でない。
ランは難しい。
光合成の弱くなっている株に、肥料を与えても効果がないからである。
光合成を活発化する薬?を与えても・・・光合成を行なうためのエネルギー源が不足しているから、
そういう薬も効果が見られないことになる。
この場面で、最も効果があるのは・・・・ラン菌が供給する「糖」である。
ランは・・・この場面が必ず自生地にあるからこそ、ラン菌との共生を捨てなかったのである。
己の葉で十分光合成出来るときは、ラン菌の力を借りなくとも生長も出来、花も咲かせられる。
しかし、自然の環境は順調な時ばかりではない。
限界に遭遇したとき・・・・・
ラン菌がいるか、いないかが・・・・生と死を分けることになる!
SUGOI-ne栽培は、この場面で最高の働きをする。
株が助かる!
ラン菌の生きていない水ゴケ、バーク、軽石では助からない株が、
SUGOI-neなら助けることが可能である。
自生地の枯れ葉。
これを分解する好気性菌のラン菌(材木腐朽菌)。
リグニン、セルロースを分解して出来る低分子の「糖」。
この糖が・・・生死を分ける。
ラン菌が生きている培養土と、ラン菌のいない培養土の違いは、
この糖がキイポイントである。
これまでのランの培養土が、いかに自生地と乖離したものであったか理解出来よう。
ラン菌のいない培養土で、しかもランを肥料で作ることが、
いかにランにとって無謀なことであったか理解出来よう。
一日でも早く、こういう栽培を止めるべきであろう。
ランが喜ぶ栽培を行うことであろう。

SUGOI-neの炭素循環栽培法は・・・・奥が深いのである。
安直な賛否などの次元のものではない。

死ぬか、生きるか・・・限界に直面したとき
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